通信講座レッスン
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メールボックスクラブ コースT−1


メールボックスクラブコースT       第1課より 


親愛なる友へ

あなたは次のような事を考えた事がありますか?
私はどこから来たのか?私はなぜ存在しているのか?
私たちはどこに向かっているのか?
これらは人生の大変重要な問題です。
そして聖書はその答えを私たちに与えてくれます。

私たちはどこから来たのですか?
私たちは神によって造られました。
神は初めに人を神のかたちに似せて創造されました。
しかし人は神に逆らい続けてきました。


私たちはなぜ存在しているのですか?
私たちが神の道に戻る方法を発見し、その道を歩むために存在しているのです。


私たちはどこに向かっているのですか?
私たちは永遠に向かっています。私たちが永遠にすごす場所は、あなたがどちらを選ぶかによって決まります。



人生には二つの道があると、イエスさまは教えています。

広い道と狭い道です。
多くの人は広い道を選び、狭い道を選ぶ人は少ないと、イエスさまは言われました。
(イエスさまは道を門と表現しました。)

 「狭い門からはいりなさい。滅びに至る門は大きく、その道は広いからです。
そして、そこからはいって行く者が多いのです。」
マタイ7:13


イエスさまはこれら二つの道についてさらに詳しく教えています。
広い道は滅び(地獄)に導き、狭い道は天国に導くと言われました。そして私たちに、その狭い道を選ぶように勧めています。

天国は私たちが想像できるどんな場所よりも美しい所です。そこは完全な喜びと幸せがある場所です。
天国には涙も、痛みも、病気も、孤独も、憎しみも、罪も、死もありません。そんな場所こそ、私が行きたい所であり、もちろんあなたもそこに行く事ができるのです。

しかし、私たちが天国に行きたいならば、しなければならない事があります。
それはまず主イエス・キリストを救い主として受け入れ、狭い道を選ぶことです。
それでは、なぜそうしなければならないかを理解するために、聖書の箇所を読んでみましょう。

「義人はいない。一人もいない。」
「すべての人は、罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができず」ローマ3:10、23

これらの聖句は私たちに何を教えているのでしょう? 私たちは皆、罪を犯したと教えています。それは私たちが言葉においても、行ないにおいても悪い事をして来た事を教えています。

神様は聖書の中で何が良い事で、何が悪い事かをはっきりと教えています。しかし私たちは神様の命令を守っていません。私たちはプライドが高く、感謝の心がなく、自我が強いものです。
自分勝手で、神様の道を選ばず、自分の道を歩んできました。これが罪なのです。


罪は恐ろしいものです。

罪は私たちの心を傷つけ、他の人の心も傷つけます。しかし最も恐ろしい罪は次のことです…罪は神様を傷つけます。罪がなぜ神様を傷つけることになるのでしょう?……それは神様が私たちを愛しておられるからです。
神様は私たちを愛しておられますが、私たちの罪を見過ごされるような事はできません。罪は正しく裁かれなければならないからです。聖書には犯した罪に対して、はっきりと裁きが書かれています。
「罪から来る報酬は死です。」ローマ6:23

これは永遠に神さまの恵みから引き離される事を教えています。何と恐ろしい事でしょう!しかしこれは事実なのです。

ここで学びを休み、次の質問に答えて下さい。
 あなたは罪を犯した事がありますか?
   はい(   )  いいえ(   )
 あなたは罪に悩んだことがありますか?
   はい(   )  いいえ(   )

あなたが罪に悩んだとき次の事を覚えてください。神さまは愛と忍耐を持ってあなたに話しかけておられます。「もう遅すぎます。」とあきらめないでください。神さまは、その罪から私たちが離れるよう望んでおられます。聖書はこういっています。

「神は、そのような無知の時代を見過ごしておられましたが、
今は、どこででもすべての人に悔い改めを命じておられます。」
使徒17:30



悔い改めとは何ですか?

悔い改めるとは「方向転換する」事です。
私たちが方向転換しなければならない理由は、間違った道を歩んできたからです。
私たちは神さまに喜ばれる道を歩まず、自分勝手な道を歩いてきました。
聖書にこう書かれています。

「おのおの自分勝手な道に向かって行った」イザヤ53:6

救われたいのなら、私たちは「方向転換」しなければなりません。

「あなたがたも悔い改めないなら、みな同じように滅びます。」
ルカ13:5


悔い改めというのは、ただ自分の罪の大きさに涙を流す事ではありません。
多くの人は涙を流したり泣いたりはしますが、悔い改めません。
牢屋にいる人はその刑罰の苦しみを知り、自分の罪を悔います。しかし、その人が刑罰から解放されると、また同じ道に戻ることがあります。彼は悔い改めていません。

悔い改めとは恐れる事ではありません。
人は、犯している罪が発覚しそうな危険が迫ってくると、常なら平気で罪を犯し続けるのに、その時には中断して静かになります。神様にあわれみを求めて叫ぶ事さえあります。しかし、危険が過ぎ去ると、また昔の罪の生活に戻るのです。彼らは悔い改めていません。

それでは悔い改めとはどういう事でしょう?

悔い改めとは「方向転換」をする事です。
「私は、今まで間違った道を歩んでいました。私は、神様の助けをいただいて罪の道を離れ、神様の道に方向転換をします。」と、心から言い、それを実行に移すなら、それが悔い改めなのです。


ですから、悔い改めは、今すぐにでもすることができます。
そして神様に喜びをもたらします。

今、神様は、あなたの心に話しかけているかも知れません。
あなたが、方向転換をしたいと願っているのなら、イエス・キリストにこう言ってください。
「主よ!私はこれ以上あなたに逆らい続けたくはありません。神様の道に方向転換をします。」

主イエス・キリストを信じて下さい。

悔い改めと信仰は同時に起こるものです。
私たちは罪の悔い改めをすると同時に、主イエス・キリストを救い主と信じる信仰を持たなければなりません。主イエス・キリストは、私たちを救う事のできる唯一の神様なのです。

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